院長挨拶
院長 林 理之
はやし神経内科の院長の林 理之と申します。
わたしは1983年に京都大学医学部を卒業後、京都大学医学部神経内科学教室(当時は亀山正邦教授)に入局しました。以来、20数年間を神経内科臨床医として研鑽を積んでまいりました。
卒業後すぐに京都大学附属病院神経内科で神経内科の基本を学びました。
1984年に岡山県倉敷市の倉敷中央病院の内科に赴任。一般内科の基礎を身につけるとともに、総合病院の第一線で救急から神経内科領域までを経験することができました。
1988年に東京都立神経病院の神経内科に赴任しました。東京都立神経病院は神経系の専門病院として東洋一の規模を誇り、神経内科、脳神経外科、神経小児科、神経耳鼻科、神経眼科など神経系に特化した診療科からなる高度専門病院です。
この病院でわたしはパーキンソン病や多系統萎縮症、脊髄小脳変性症、筋萎縮性側索硬化症などのいわゆる「神経難病」の診療と研究に従事しました。この病院での10年間の経験によって「神経難病」はわたしのライフワークのひとつになりました。
また、同院で先進的に取り組まれていた在宅診療はわたしの医療に対する考え方を変えました。「神経難病」の患者さんでも住みなれた地域で家族とともに暮らせるようにするためには、病院完結型の医療から病院と診療所が連携し合って患者と家族を支えていく医療へ変える必要があるということです。さらに医療だけでなく、介護などのケアも車の両輪であると考えるようになりました。
1998年に大津市民病院の神経内科へ部長として着任しました。
滋賀県では「神経難病」の問題に取り組み、大津市民病院に神経難病病棟を設立し、滋賀県難病医療ネットワーク協議会の運営に尽力しました。
2007年に京都市立病院の神経内科部長へ転任しました。
この頃から認知症の問題が深刻であることを実感するようになり、認知症の診療とケアをわたしのもうひとつのライフワークにすることを決意しました。
「神経難病」と認知症は病気としては大きく異なるものです。
しかし、これらの病気は慢性疾患であり、患者さんもご家族も長い期間にわたって病気やそれが引き起こす生活の不自由や支障とつきあわなくてはいけないこと、医療やケアを提供する側もそれらをふまえた息の長い実践が必要な点では共通しています。
このような長い道のりの医療とケアを続けるには、患者さんとご家族、わたしたちのクリニックがお互いに協力し合う関係を築くことが大切だと考えています。
さらには、患者さんが住む地域で医療やケアを提供するほかの施設と連携して、病気を持っていても地域で安心して暮らせるシステムにすることも重要です。
院長 林 理之
院長プロフィール
出身地
生年月日
主な経歴
長野県
昭和30年5月5日
- 昭和58年3月
- 昭和58年6月~昭和59年5月
- 昭和59年6月~昭和63年3月
- 昭和63年4月~平成10年3月
- 平成10年4月~平成19年3月
- 平成19年4月~平成23年1月
- 平成23年3月
- 京都大学医学部卒業
- 京都大学附属病院神経内科勤務
- 倉敷中央病院内科医員
- 東京都立神経病院神経内科医員
- 大津市民病院神経内科部長
- 京都市立病院神経内科部長
- はやし神経内科 開院
- 現在に至る
認定医
- 日本神経学会(神経内科専門医)
- 日本認知症学会(専門医)
- 日本内科学会(認定医)
所属学会
- 日本自律神経学会(理事、学会誌編集委員)
- 日本神経学会(代議員)
- 日本神経病理学会(評議員)
役職
- 京都大学医学部臨床教授
- 関西医科大学非常勤講師
主な論文
林 理之「皮膚生検による自律神経機能評価」
「Annual Review 神経2011」 P337-342 (中外医学社 2011年)
Hayashi M, Isozaki E, Oda M, et al.
Loss of large myelinated nerve fibers of the recurrent laryngeal nerve in
patients with multiple system atrophy and vocal cord palsy.
J Neurol Neurosurg Psychiat 62: 234-238, 1997
Hayashi M, Ishi Y
A Japanese case of autoimmune autonomic ganglionopathy (AAG) and a review of
AAG cases in Japan.
Auton Neurosci146: 26-28, 2009